[第4回]独自の災害事前対策の礎となった阪神・淡路大震災の教訓

1995年1月17日。マグニチュード7.3 の直下型地震が、阪神地方を襲った。被害はかつてないほど甚大だったが、この未曾有の災害を乗り越え、お客様への誠実な対応を続けた。当時その最前線を担った二人に、その後の災害対策の基本にもなった、貴重な体験談を聞いた。

東京海上日動あんしん生命 お客様サービス部 保険金グループリーダー 三輪 哲史

東海・北陸業務支援部 次長 中沢秀幸

どんな状況におかれてもお客様本位の実践を

 2004年は台風や地震など、災害が多発した年だった。中でも10月に発生した新潟県中越地震は、マグニチュード6.8の直下型、最大震度7という規模で、多くの被害をもたらした。

 東京海上日動では、地震、台風、水害などの災害が発生した場合、損害保険会社として直ちにお客様の要望に応えて業務を行えるよう、万全な対策を講じている。新潟県中越地震時にも、この事前の対策が功を奏し、本店災害対策本部および現地対策本部の設置など、短時間で損害サービスを中心とした全店的な対応ができた。

 当社が、災害時に迅速な対応ができるのは、1995年に起きた阪神・淡路大震災における貴重な経験が生きている。災害、特に発生の予測が難しい地震に対しても、過去の貴重な経験の中からできる限り具体的な対応策を構築しようとしてきたのだ。

 「私は異動したその年に震災に遭いました」というのは、もっとも被害の大きかった神戸支店神戸中央支店三宮支社の復旧に活躍した、中沢秀幸。震災直後から代理店の安否確認、震災対応の情報提供などに東奔西走した。一方、当時神戸支店損害サービス部火災新種損害サービス課に所属していた三輪哲史は、異動2年目での被災。神戸支店内での対策本部立ち上げと被害状況の把握、お客様に対する損害サービスに、汗を流した。

被災下での業務に求められるのはスピーディな処理と公平な対応

 中沢も三輪も当時は、西宮の社宅住まい。水道やガスの復旧もままならぬ中、社宅に残っての業務遂行だった。「電話は不通ですし、今のように携帯電話も普及していない。安否確認はもちろん、代理店に対して必要な情報をお伝えするのにも、直接お会いして話すしかありませんでした」。三宮支社では、原付きバイクを3台用意して、200店強の代理店をメンバーで回った。

 三宮支社が入居しているビルが崩壊したため、書類を取り出すのもひと苦労。必要な書類の発見や整理には多大な時間を要した。また、地震の発生が、正月明けの3連休の後。代理店の事務所や支社に、計上前の申込書も、数多くあった。さらに当時は支店内のトイレも簡易なものであり、仕事をする前に生活面での苦労も耐えなかった。そんな中、暖房設備も壊れ、体にカイロを張り、寒さと戦いながら業務を続けた。

 「様々な業務処理や対応について、初めて対処することばかりなので、一つずつルールを決めながら対応しました」と中沢。すべての人がなんらかの被害にあったという状況下では、とにかく誰にも分かりやすいようなルールを作り、公平な対応に心がけなければならないと痛感したと言う。

 損害サービスを担当した三輪は、担当業務の性質上、公平性とともに、できるだけスピーディな支払いに注力。取り付け書類の簡素化などを率先して進めた。「お客様にとっては保険金が支払われるかどうかが一番心配なこと。お客様にきちんと支払いの説明をし、安心を届けることが当社の使命だと思いました」。また、中沢も同様に言う。「保険の満期までに手続きをしないと期限が切れてしまう。しかし、その書類自体がないという状況のもと、対処方法を代理店に説明して回った。大切なことは、災害が起きてもお客様の生活は変わらず続いているということです。お客様に安心をお届けするという保険会社の使命は大災害時でも変わりません」と。

 焼け野原になって、所在地さえ分からないという物件も数多くあった。そうした中での損害サービスだっただけに、神戸支店対策本部の努力は、多くのお客様・代理店から感謝された。

主体的に判断することが何より大切。究極の状況が成長を後押ししてくれた

 「究極の状況に陥ると、みんな優しくなるんですね」と三輪は言う。「避難所などでお客様を捜していると、一緒に訪ね歩いてくれたり、私自身の心配までしてくれて、お茶を飲ませてくれたりもしました」。また代理店のお客様を思う気持ち、そしてその行動力には、脱帽することが多かった。

 当時も応援者の手配やマネジメント、それを支えるインフラの整備といった対応策はある程度構築されていた。しかし、いざとなってみるとやはり、多くの人の力に支えられる部分が多いということかもしれない。

 「個人的にも学ぶところは多かった」というのが、三輪の意見。震災時の対応というのは、誰も経験していないことばかり。誰かに頼るということが、そもそも不可能だった。「あらゆる事象を自分の眼と耳で捉え、即座に判断し、主体的に動くことの重要性を学びました。一つの行動をいちいち上司に確認していたら、何もできない。『お客様のためになるか』をいつも自問自答しながら、自らを信じ行動していました」。

 主体的な行動の重要性には中沢も同感。通常の仕事においてもとても重要なことであり、二人ともこの経験が自らの成長につながった、と語っている。もちろんどんなに学ぶことが多いとしても、災害は起こらないに越したことはない。しかし、天災は忘れた頃にやってくる。多くの人のあらゆる経験を活かし、どんな時でもお客様、代理店の立場になること。この気持ちは忘れないでいたい。