1894
業績改善に尽力した若手社員


三井物産ロンドン支店

当社は創業直後からロンドン、パリ、ニューヨークで元受営業を開始。1890年には、海上保険の本場である英国に3カ所(ロンドン、リバプール、グラスゴー)の代理店を設置したことにより、1891年には、海外での船舶保険料収入が全保険料収入の50%を超える急成長を遂げました。しかし、この急成長は業務を委託した代理店が多額の手数料収入を得るため、リスクが高い物件でも構わずに引き受けていたことによるものでした。このリスクを軽視した引き受けにより、当社の収支は急激に悪化、1894年には経営危機に陥りかねないほどの事態を招きました。

この英国での失敗の原因究明と対策を実行したのは、入社4年目の各務鎌吉(かがみけんきち 当時26才)と入社間もない平生釟三郎(ひらおはちさぶろう 当時29才)でした。まず、各務は、英国での契約内容を一から再精査し、独力で保険統計を作成、原因が引き受けの不備にあることを突き止めました。そして、当時国内の営業を任されていた平生と2カ月にわたって論議を重ね、業務を委託していた代理店との関係を解消し、自らリスク判断の考え方をまとめ改善を進めました。


東京海上ロンドン支店のメンバー
(前列中央が各務鎌吉・前列左端が平生釟三郎)

また、英国市場で評価の高い海上保険ブローカーであるウィリス・フェーバー商会に代理店をあらためて委託し、海外営業の立て直しをはかると同時に、日本で引き受けた貨物保険の包括再保険契約をロンドン市場と締結しました。
その後、各務は、損失を招いた原因の1つであった経理方法の改革を断行し、未経過の保険料を利益とみなしてしまう「現計計算」から「年度別計算」への移行を進め、1897年に完了させました。


当社最初の自社ビル

この海外での取り組みは、国内営業の発展にも寄与し、当社は数年のうちに業績を回復させることができました。のちに海外の一流海上保険会社とも肩を並べるほどに成長できたのも、各務、平生といった若手社員のチャレンジ精神と、経営陣がそれを受け止めることのできる自由闊達な社風によるところが大きかったといえます。