1944
3社合併により
新生東京海上火災保険株式会社が誕生


当時の東京海上ビルディング(1918年撮影)

1937年7月の日中戦争勃発を機に、政府による戦時金融統制が行われ、軍需産業への円滑な資金供給を目的として、金融機関の体質強化が重視されるようになりました。こうした時代背景により、1941から1942年にかけ保険会社同士の合併が頻繁に行われました。当初は多くが小規模な保険会社の合併でしたが、その後、中規模以上の会社同士の合併や経営強化を目指して自ら合併に踏み切るケースも増えてきました。


3社合併記念撮影

当社は三菱系企業の保険取り扱いを通じて人的・資本的な関係強化を進め、1925年から各務が会長を兼任していた明治火災・三菱海上の2社とともに解散し、1944年3月、3社合併して東京海上火災保険株式会社(当社の前身)を設立し、約1,300名の体制で出発しました。

なお、新会社の会長には旧東京海上の鈴木祥枝、社長に旧三菱海上の亀山俊蔵が就任。株主は三菱系企業が上位を占めることとなりました。