1923
関東大震災への対応


関東大震災直後の様子

1923年9月1日に発生した関東大震災により、日本は10万人余りの人命と約100億円の財貨を失いました。その中には火災保険を契約している建物も含まれていましたが、地震に起因する火災については、補償の対象外であることが約款に明記されていました。しかし、補償を期待していた契約者たちの不満が高まり、社会問題にまで発展しました。

政府は各保険会社に犠牲的精神の発揮を要望。しかし、補償の対象外であることはもちろん、損害額が高額であることから支払いは不可能であり、各社とも対応に苦慮することになりました。当時、業界団体のトップだった各務鎌吉は、事態の解決に向けて骨身を惜しまず奔走。さまざまな関係者と協議を重ねた結果、政府から助成金を借り入れた上で、保険金額のうち1割を見舞金として契約者に支払うという苦渋の提案をしました。
約款の解釈を超越した提案は、沸騰する世論を沈静化させるためのものであったと同時に、各務が社会的見地に立ってリーダーシップを発揮し、損害保険の公共性を考慮した決断だったといえましょう。